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院内のご案内

山門

高野山駅から、南海りんかんバス「奥の院行」または「大門行」に乗り「警察署前」バス停下車(バスの所要時間約10分)バス通りから歩いて2,3分。御門までの道のりに木々が整い、静寂の中へ引き込まれていくようです。

本堂

本覚院は、高野山真言宗 総本山金剛峯寺の塔頭寺院、別格本山です。

智証大師作の不動明王像がご本尊です。


本堂天井絵

江戸時代のものが色彩豊かに残る貴重な天井絵

一枚一枚すべて趣向を凝らした絵のはめ込み板が、本覚院の本堂を特徴づけています。
建立以来250年の現在も豊かな彩色を留めております。

大広間・狩野派の襖絵

江戸時代に滞在していた、狩野派の絵師による貴重な襖絵をご覧いただくことができます。

重厚な歴史物語が刻まれた広間は、仏前挙式のあとの宴席に使用することもあります。
夕暮れの陽光がうむ陰影とたおやかな時間の流れを体験して頂けます。

◆狩野派とは?ウィキペディアより
狩野派は、親・兄弟などの血族関係を主軸とした画家集団で、約4世紀間の長期にわたって一国の画壇に君臨したという点で、世界的にも他にほとんど例を見ないものである。
狩野派の代表的な絵師としては、室町幕府8代将軍足利義政に仕えた初代狩野正信とその嫡男・狩野元信、元信の孫で安土城や大坂城の障壁画を制作した狩野永徳、永徳の孫で京都から江戸に本拠を移し、江戸城、二条城などの障壁画制作を指揮した狩野探幽、京都にとどまって「京狩野」と称された一派を代表する狩野山楽などが挙げられる。
江戸幕府の体制が安定して以後の狩野派は、幕府の御用絵師として、内裏、城郭などの障壁画の大量注文をこなす必要に迫られた。

池泉庭

本覚院の5つの庭園の中の一つ池泉庭は、作庭の形式美が各所に息づき四季折々の風情が堪能できます。
静寂のなかに流れる水の音、鳥や虫の声に心が癒されます。

重森三玲の石庭と茶室

苔の石庭は、昭和初期の作庭家・重森三玲によるものです。
回廊を巡りながらの観賞であるから目の錯覚で左右に動くよう複雑な配置をしています。
更に上下にも動くかのような錯覚を覚えさせるように作られたそうです。
この庭を見下ろすように佇む、離れの茶室があります。


◆重森三玲とは?ウィキペディアより
重森 三玲(しげもり みれい、旧戸籍名は重森計夫、1896年 - 1975年)は、昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。
昭和14年(1939年)、『日本庭園史図鑑』26巻を上梓して庭園史研究の基礎を築き、また昭和51年(1976年)には息子の重森完途と共に『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史研究家としても多大な功績を残した。
昭和24年(1949年)には前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰、後に前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊した。
三玲が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園などがある。