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高野山について


高野山は、紀州「紀の川」の南方、海抜約900mの山上にあり、東西6km、南北3kmの、周囲を八葉蓮華になぞられた峰々に囲まれています。

高野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。

開山以来千年、さまざまな歴史に彩られた人間の世界にとどまらない、安住の仏都に来たという安らかさを感じます。周囲およそ25kmにも亘る美しい丘や谷がまるで極楽浄土のように見えます。

高祖弘法大師(平安初期の僧の空海のことをいう)がはじめて高野山に開創の斧を入れられたのは、弘仁7年(816年)の5月でした。約1200年前に開創された真言密教の根本道場を開山、これが高野山金剛峯寺の初めと言われています。

奥の院の老杉と百万基の石塔大伽藍・総本山金剛峯寺をはじめ、数多くの寺院のただずまいは都塵を洗い清めます。

高野山総本山 金剛峯寺主殿

現在の建物は文久3年(1893)に再興されたもので、東西約30間、南北約35間の大建築である。柳の間は、豊臣秀次自刃の間として有名。

大門

高野山-山の総門、旧表参道にある立派な重層建築、現在の建物は宝永2年(1705)に建てられたもので、晴天の日はここから遠く淡路島が展望できる。両脇の金剛力士は江戸時代の仏師康意(阿形像)、法橋運長(吽形像)によるもの。

金堂

高野山一山の総本堂で、弘法大師により弘仁10年(819)に創建されたが、再三火災に会い、現在の党宇は、昭和7年(1932)に建立された鉄筋コンクリート造りである。
※桁行約33m、梁行25m余、棟の高さ約23mという高層建築である。
高野山の主な恒例法会はここで執り行われる。
本尊は高村光雲作の阿閦如来(薬師如来)、内部の壁画は木村武山画伯の筆による。

御影堂

弘法大師御在住中は僧侶であったと伝えられる建造物である。
現在の建物は弘化4年(1847)に再建されたもので、真如親王の御筆による大師御影を奉安している。宝形造りのゆるやかな桧皮茸の屋根は大師の御住房に相応しい落ち着きを見せている。
御影堂のマエには、大師が中国から投げた三鈷が引っ掛っていたと伝えられる伝説の「三鈷の松」が植えられている。

大塔

弘法大師が高野山を開創され、一番最初に着手されたのが、この根本大塔である。高さ約48.5mの現在の大塔は、昭和12年(1937)に完成したもので、高野山の、いや真言密教のシンボルである。

大塔内部

本尊の胎蔵大日如来と金剛界の四仏で金胎不ニを表している。
十六本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩が画かれており、四隅には密教を伝えた八祖像が掲げられている。